現代でも存在感を放つ”ピラミッド”

ピラミッドは、エジプト・中南米などに見られる四角錐状の巨石建造物。 古代エジプトにおけるピラミッドは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物である。王が天に昇る階段としての役割や、その斜めの外形が太陽光を模したものであるとも考えられている。ピラミッドは単体で完成したものではなく、付随する葬祭殿等との複合体として考えるべき特徴を持つ。(大ピラミッドなどの代表的な例では)ピラミッド本体には基本的に北面に入り口があり、玄室に至る道や「重力分散の間」と呼ばれる謎の機構など、未解明の仕掛けがある。

ヘロドトスの『歴史』に記述されて以来、一般的には奴隷の築いた王墓とされてきたが(“奴隷”の記述は階級闘争を進めるソ連の教科書に初めて記述された)、1990年代に入ってからギザの大ピラミッド付近でピラミッド建造に関わったとされる住居跡と墓が見つかり、豊かな生活物資や住居人のミイラ(身分が高くないとミイラにはされない)が発見されたことなどから、奴隷ではなく専属の労働者がいたことが明らかになった。また、ピラミッド建設に必要な高い建築技術は専門の技術者でなければ持っていないこと、建設に関する労働者のチーム編成や作業記録が文字で残っていることから、専門的な知識を持った技術者が居たことも間違いないと思われる。また、住居跡があることから分かるとおり技術者は年間を通してピラミッド建設現場に居住していたことが分かっている。ナイル川が上流のサバナ気候の影響で氾濫し、農業ができない間農民が労働力として使われていた説もある。

旧来、ピラミッドの建設は多数の奴隷を用いた強制労働によるという説が主流であったが、当時の技術力・国力からして奴隷労働なしでも20年程度で完成可能と考えられる点、奴隷を徴用した証拠がないという点から、一部の研究者には疑問を抱かれていた。近年のピラミッド労働者の村の発掘で、労働者たちが妻や子供といった家族と共に暮らしていた証拠や、怪我に対して外科治療が行われていた痕跡が墓地の死体から見つかり、現在では奴隷労働説は否定されたと言って良い。そもそも古代エジプト社会は古代ローマや古代アテナイの社会と異なり、農業や手工業といった通常の生産労働も奴隷労働に依存せず自由身分の農民によって成されており、人口の少数しか占めない奴隷は家内奴隷が主体だったと判明している。吉村作治は、ピラミッド建造は定期的に発生したナイル川の氾濫によって農業が出来ない国民に対して、雇用確保のために進められた公共工事的な国家事業であったと主張している。ピラミッドが国家事業として作られたという説も、吉村のオリジナルではなく、クルト・メンデルスゾーンによって既出である。(邦訳:ピラミッドの謎/文化放送開発センター出版部) ただしメンデルスゾーンは、ピラミッドを作る目的が公共工事だったとは言っておらず、事業形態が国家事業であり、建設の目的自体は主に墓であっただろうと述べている。

クフ王の大ピラミッドについて、1978年に大林組が「現代の技術を用いるなら、どのように建設するか」を研究する企画を実行した。それによれば総工費1250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という数字が弾き出された。1立方m当たりの価格は、コンクリートダムが2万4000円前後に対してピラミッドは4万8000円になるという(金額は当時のもの)。


Nice Sites